
「狐の鏡/透明な縄」に向けて 柳田詩織
灯台とスプーン第7回公演「狐の鏡/透明な縄」に向けて、本公演では毎回恒例の出演俳優さんによるコラムを投稿してまいります。
ラストは、柳田詩織です。
また今回のコラムでは通し稽古中の様子をフォトグラファーの白石悠さんに撮影いただきました。
ご無沙汰しております。夜の挨拶こんばんはが好き、灯台とスプーンの柳田です。
3月も後半に差し掛かり、すっかり心地のよい季節、と思いきや、なかなか不安定なお天気が続きますね。
3月といえば、前回公演「草香江ポエトリークラブ」の蔵山店長は 三月 と書いて やよい さんでした。彼女は今日も草香江でひっそりと「喫茶シトロン」を営業しているのでしょう。固めのプリン食べたいな、ふふん。
さて、恒例の、田村に急かされてしぶしぶ書きはじめるコラムの時間がやってまいりました。前回から1年と少し、やっぱりおしりを叩かれて、まったく成長が見られませんね…。
特に今作はリブート。思いも一入で、困った、なかなか言葉がまとまらない。
旗揚げ公演「狐/真夜中の共謀」について
この記事を読んでくださっている方のなかで、旗揚げ公演「狐/真夜中の共謀」をご覧になった方、もしくは覚えてくださっている方はどれくらいいらっしゃるのでしょうか。
10年前、私は葛葉という無戸籍の少女を演じました。彼女は自らでは選べない出自のために、狡賢くあることを強いられた人です。そして、生きるためにそれを選び取る気丈さを持ち合わせた人でもありました。

ただ、自分を犠牲にするような生活は長く続けられない。恵まれない境遇で生きる彼女を心身ともに救ったのは、大学教授の堀川と、人に化けた狐の権藤でした。
そう、主には権藤が、狐が、えい!って、大いなる力をもって助けてくれたんです。…なんてこった!笑
当時だって良い作品を目指して必死だったけれど、思い返すととっても恥ずかしい。
もちろん大事な時間でした。あの試行錯誤があったから、今の創作が続けられているのだと思います。
ただ、田村が「狐」を一から書き直すとなった時、肝心なところはファンタジーにしないでと伝えずにはいられませんでした。このおはなしにはどこかで誰かと重なる瞬間がある、かもしれない。その結末が10年を経てなおファンタジーではいけない。妖の類いが幸運として降ってくるのではなく、人間が自ら道を拓かねば、と。
再創作のきっかけ
実のところ「狐」再創作の話しは5年くらい前からあって、でも、きっかけというか、再演に踏み切るための燃料になるものがなかった。それが「草香江ポエトリークラブ」で萌夏氏と創作した後でしょうか、ふと田村が「萌夏氏、どう、葛葉」と言ったんです。


なるほど、ありだな。これが再創作への第一歩でした。
あざとく反抗的だった私の時と違って、素直で一生懸命、応援したくなる魅力的な葛葉ちゃんです。一方で、自分のことに鈍感でどこかふわふわしているといいますか、他人事のように捉えるところなんかは、現代の若い女の子たちを代表しているような気もします。平成と令和の違いかしら。
堀川という人について
そして、今作で私が演じるのは、大学准教授の堀川という役です。10年前の公演でも核となる人物として登場していました。
実は私、堀川の大らかで精神的に自立した人間性がとても好きで。私がやるならこんな感じ、という理想というか、イメージが当時からありました。年齢的なものと、「しーさんは葛葉ね」という田村の一言で葛葉を演じましたが、きっと堀川への未練がずっとあった。
けど1年くらい前かな、「しーさん、堀川やる?」と言われて、どきどきして、
……蓋を開けてみれば、私の好きな堀川とは別人でした。
よくぞここまで別人にしたな、が第一印象。いや、精神的に自立しているという点では相違ない、か?とにかく、葛葉を保護する大人として相応しいかと問われると、わからない。

でも、傍から見ておかしくても、当人たちがしっくりくるのであれば、生きていけるのであれば、そういう関係性があってもいいのかもしれませんね。

ここでずっと創作していたい
今回、とてもやわらかな座組にいます。みんな、あたたかくて、愛おしい。私もあまり身体がつよくないですが、うずくまるとそっと寄り添ってくれる人たちです。

ここでずっと創作していたい、おわりが見えていてさびしい。
みんなでいいもの、つくろうね。もうちょっと、がんばろうね。
優しい人たちとつくった「狐の鏡/透明な縄」、どうぞ劇場でご覧ください。

灯台とスプーン第7回公演「狐の鏡/透明な縄」
2025年3月29日(土)〜30日(日) 福岡女学院大学ハウイ館学生ホール