
「しなしなのポップコーンを抱えて」に向けたコラム④柳田詩織
こんばんは。柳田です。(この記事を書いているのは夜です)
「狐」上演からまもなく1年、田村、久保両名から次の作品創作への圧を感じましたので、急遽、私の休みに合わせて企画を起こす運びとなりました。

はじまりは2月3日、稽古の開始は2月20日。当初は本もできていませんでしたし、ひと月ちょっとでここまで来るなんて、うちにしてはなんともスピード感ある現場です。短期間での創作にあたり、本公演ほどの厚みを持たせられるかわかりませんでしたので、ラボラトリーの復活を提案しました。
(補足…ラボラトリーという名称は、もともとコロナ渦前に、灯台とスプーンで既存戯曲をはじめとした、さまざまなチャレンジや実験公演ができる枠組みの名前として企画していました。今回、実験公演の要素があると感じ、復活させました)
とは言え、集まってくださった出演者のみなさんとは、ぎゅっと凝縮された稽古時間を過ごしています。どうしてもスケジュールを詰めてしまった自覚があるので、みんな最後まで健康でいてね。

つくって、やって、みていただく。
ラボラトリーとはブラッシュアップを目的とした実験の場です。喧騒から離れひっそりと在る“アトリエ間-あわひ-”にて、お越しいただいたみなさまと濃密な時間をご一緒できたらと思います。
今回の作品について、個人的には関係性の再現がテーマのひとつだと捉えているのですが、とても演劇的だなと感じています。故人そのものとして応答するAIと遺された人たちとして、私たちが稽古場で模索しているものは、本来二度と手に入らないはずの喪ってしまったコミュニケーションです。それを目指すためにはまず、故人の生前、彼らがどのような関係を築いていたかを明確にする必要があります。

関係とは行動や言葉、やり取りの積み重ねによってかたちづくられるものです。私自身が持ち合わせるはずのない、彼女の記憶を辿る作業が、そのまま物語の奥行きや説得力になるのだと思います。
役作りの際、私はわりと細やかな背景を想像するのですが、今回、いつも以上に必要な気がして、在り日しの肉付けをひとりぐるぐると行っています。まるで追想ですね。
4年前、祖父を亡くしました。
足腰も頭の回転もしっかりしていて、まさかこんなに早く逝ってしまうなんて思っていなかった。母曰く、昔は厳格な人だったようですが、寝物語に戦争での体験や、自分で脚色した「桃太郎」をおもしろおかしく聞かせてくれる、話し上手でカラオケ好きな、孫に甘いおじいちゃんでした。
余談ですが、短編作品「夏休み夢日記」は、祖父の記憶から生まれたものです。あの時、あのタイミングで改めて祖父から戦争の話が聞けたこと、今となっては幸運でした。その際の音声や映像を残していなかったことが悔やまれます。

さて、当時の私は、仕事のあいまに祖父の通院に付き添っていました。車での送迎です。気丈な人で、最期まで泣き言を聞きませんでしたが、次第にカメラを向けられることを嫌がるようになりました。
祖父の最後の誕生日、ご機嫌だった彼は、歌を歌い、いつもの戦争の話をしました。こっそりと録音したそれが、今も私を支えています。

私は未だ、祖父の死を引き摺っています。誕生日に必ずくれたメールの履歴や、録音された声、残された言葉たちの中に、祖父の気配を探しながら生きています。会いたいです、とっても。でもだからと言って、生前の祖父を模したAIが目の前に現れたら、きっと受け入れられない。きっと余計に恋しくなる。ことこちらに関して、私の中ですでに答えは出ています。

では、あなたはどうでしょう。
程度の差こそあれ、人は他者の喪失から逃れられません。でももし、その人が言葉として、ふるまいとして、そこにいるように応答してくれたら、その関係は本物ではないと確信できますか。あるいは、その人を模した何かと生きていく選択をしますか。
いくら私の中で答えが出ようが、倫理的にどうであろうが、答えは個人がおのおの状況やタイミングに応じて見つけるもので、正解なんてないのだと思います。ただ、せっかくのご縁なのですから、当日、“アトリエ間-あわひ-”にご来場のみなさまには、思いを巡らせていただきたい。

ラボラトリー。
みなさまとともに思考に耽るお時間、楽しみにしています。
