LODGE vol.1 レポート&ご感想

Lighthouse Camp Circleのはじめてのこころみ、「LODGE」が終演しました。ご来場誠にありがとうございました。
さまざまな作品群をお見せするこころみは、以前灯台とスプーンでは「コラボレーションライブ」というかたちで行っていたのですが、今回灯台キャンプサークルという、火をかこんで皆が集まるような雰囲気のコンセプトに合わせて、夏のキャンプだけれどお部屋の中でやるならば「ロッジ」という名前がいいかなと思い、ハコ町屋さんをお借りして開催しました。

会場では、それぞれの作品上演のあいだ、来てくれた方へ「お茶大臣」たちがお茶をふるまったり、リーディングではお客さんにも参加していただく場になりました。

オンラインアンケートにて、いただいたご感想を、作品の写真と共に公開させていただきます。

企画へのご感想

会場が町家で、靴を脱いでいるのもありリラックスして過ごせました。
作家・出演者の方と観客との間に明確に線が引かれない、そんなスタイル・雰囲気も何だか心地よく。
演劇については何も知らないずぶの素人ですが、もっとこの世界を知ってみたいと思いました。
いつか「あめふりヶ丘夜想曲」を生ピアノの音と共に観劇できれば。
(感想を書いた人:まささん)

上演「鯨骨生命群集」

作:内田龍太郎 出演:服部優、桜井玲奈


心地いい、一瞬眠ってしまう。
意を決して目を開ける。心地いい、一瞬眠ってしまう。
ちょっと罪悪感に襲われる。
目覚め周りを見る「言葉」がそこらに残像として残されている。「夢じゃなかったんだ」と
不思議な気持ちになる。
「(眠ってしまって)ごめんなさい」と「心地よい」と言うのが
感想というか観劇して直後の気持ちです。
そして、「この劇は心地よい体験をすることが目標の劇だったのか?」という疑問が湧き上がります。
私はこの観劇で何を聞いたのかほとんど覚えていません。テキストは頭に入ってこなかったのです。(感想を書いた人:やすさん)

深海のような場所で、横たわって観劇すると演者が近づいてくる。
心地よく、少し眠りそうな気分で聴いていると、気づいたら手に言葉が渡されていた。
言葉がぜんぶ入ってくるわけじゃないけど、鯨のことや、手渡された言葉のことを終わってからも一日ぼんやり考えてしまう作品でした。

(書いた人:匿名希望)

ぼーっとしていたらいつの間にか劇が始まっていた。
促されるままに畳に伏せ、ぽつぽつ降る言葉の雨に打たれていると、意識は海の中へ沈んでいく・・。海の中には人間が決めたあれこれの面倒なシステムや線引きが存在しない。
鯨は学校に通わない。鯨の纏う神々しさを思うと、彼らに指図するほど人間は偉くない。
海の底でまどろむような感覚を楽しんでいたら劇は終わり、しばらくぼんやりしていた。

(感想を書いた人:まささん)

上演「蝶の舞う夢」

作:進藤アヤノ 出演:足立万実(劇団ジグザクバイト)、藤桃子


二人の関係性が静かに、しかも緊張感をもって明らかになっていく。ドキドキしながら見つめました。場所の関係もあると思うけど、「のぞき」をしているような罪悪感がありました。この作品がこの部分だけの短編なのか、それとも長編のある部分なのかわからないんだけど、イギリスで娘と寝ていた姉が突如、実家に舞い戻り、十数年ぶりに
妹に会い熱い抱擁をしたと思うと、妹の激しい感情の吐露にも飄々と受け応えをしている。
「いや、そんな姉なんです」「いや、この後にちゃんとこの行動の意味がわかるところがあるんです」何らかの答えがあるのかもしれません。ただ率直にいうとこの姉は、これから起こることを全部理解していて淡々と作業的に会話を進めているようの見えました。「これは何回も見た夢で、こうなってその後こうなって、こんなふうになるよのよ」と言ったように「最初はびっくりして混乱したけど、今回は部屋の様子をしっかり見てみよう」くらいの余裕というか感情の変化を起こしていないそのくらいの姉に見えました。妹は感情の変化に唐突感があって、どうして突然キレた?と私は感じてしまいました。
妹は姉に対して憧れや憎しみなど複雑な感情をもっていてそれを素直に表現できない状態にいるのでしょう。大好きででも同時に憎んでいるお姉さんに突然抱きしめられた戸惑い混乱喜び、悲しみ複雑な感情の高まり、しかしそれを気とられまいとする自尊心、いろんな感情考えがカオスとなって渦巻いていたと思います。
しかし妹は日々の感情を表現できない生活の中で鉄壁なポーカーフェイスを習得したのでしょう。
姉の些細な一言、または態度が「蟻の一穴」が堤防を壊すように、感情の関を切って言葉となって溢れ出たのでしょう。
私が鈍感でぼーっと生きているから見落としていただけかも知れませんが、蟻の一穴(予兆)を感じることが出来ませんでした。鉄壁なポーカーフェイスの端にできたちょっとしたほころびを私は見つけることが出来ませんでした。
「これは長編の中の一部分でこのシーンではこれが最適解です。姉も妹も別のシーンでこの時の行動の意味がわかるようになっています」なのかも知れません。
まあ長々と書きましたが、以下の疑問を持ちました。
姉はこの突拍子もない状態なのに、あんな態度行動をとるのだろうか?
姉はどうして、妹に対して挑発的な態度をとるのだろうか?
妹は冷静を装っていたのに、なぜ感情を吐露したんだろうか?
まあそれだけ引き込まれたというか姉妹に興味を持ちました。
(感想を書いた人:やすさん)

この物語は所見なので、前後がわからないけれど最初は軽い入りに感じたので、違和感なく物語に入れた。役者の言葉からこの物語のヒントを探した。最後に点と点がつながり線になり、最初の入りとは違って海の底のような、層がある感情が見えたのでミステリアス性もあり不思議な面白さだと感じた。また、ハコ屋との相性もよく役者が窓際に立ったときにちょうど風が舞い込みカーテンが上がり日が差し込んでひどく幻想的だった。あの瞬間は忘れられない。音響があまりないのに実際の天気は晴れの中、雨の音も効果的で印象に残っている。全体的に幻想的でミステリアスな世界でした。別件ですが未就学児がいる身には、出入り自由は大変ありがたかったです。

(感想を書いた人:あぴこ)

大切な人にさえ(こそ)打ち明けて話をすることは難しい。でも、いずれ向き合わざるを得ない時が来る。まずは地に足をつけること。
劇中では重しにペットボトルの水が使われていてクスッとした。確かに、重しになれば何でもいい。
自分という存在の重みを確かめて、そこから手探りでも対話を始めればいい。

(感想を書いた人:まささん)

リーディング「あめふりヶ丘夜想曲」

作:田村さえ 読んだ人:桜井玲奈、足立万実、藤桃子、久保文恵(お客さんにト書きを協力していただきました。)

田舎の村で育ったので、雨の日といえば、家の中にまで立ちのぼる土の匂いが呼び起こされる。
都会ではそれは限りなく薄いコンクリートの匂いになり、私には物足りない(余談)。
劇中の姉妹がそうだったように、私も家族には話せていないことがたくさんあるし、きっと家族もまた私に話せていないことがある。
本音を打ち明けあうということは往々にして痛みを伴うため、せめてそこにピアノの音や土の匂いがあり、痛みを和らげてくれたらいい。そんなことを考えながら観劇していた。

(感想を書いた人:まささん)

様々な対立、対峙が「そんな所があるよな」と共感を持ちながら描かれていて、それが地理的な上下や経済的な上下、また過去と未来、新旧と言った時間の中に上手に散りばめられていて、話が進むうちにその関係が立体的に表現されていてとても面白い(興味深いの意味)作品でした。こんな作品を作れるなんて何とすごい人なんだと感心し同時に妬ましく思いました。
登場人物が人間的な弱さ(悪いところ)をそれぞれ持っていてそれが魅了的で良かったです。
ただ次女だけは、疑問が残りました。(それだけ興味を持ちました)
「なぜ次女はあんなに強いのか?」なぜ次女は姉妹を支えたのか?何が次女の支えとなっているのか?
私がぼーっと聞いていて聞きそびれただけなのかも知れませんが、この疑問が残りました。

(感想を書いた人:やすさん)

上演「食べて往くこと」

作:田村さえ 出演:松尾佳美


グサグサ刺さりました。
二十歳の時、面接で「演劇なんて何のためにやってんの?」と言われて、家に帰ってわんわん泣いたこととか、どこかの誰かの「出演しまーす」SNSを見ては嫉妬したこともあったよね。と、つい最近、(知り合いの俳優さん)と話したばかりで、私が歩いてきた道を振り返りながら観てました。
まだまだ道の途中ですが、ようやく外側には何もないなということに気がついて、足りているか足りていないかを決めるのは自分自身で、私をケアできるのも埋めてあげるのも私しかいないのですよ。
すみこは結婚もせずに演劇を続けていることにモヤモヤしてたけど、結婚して子供がいる人も(好きなこと続けてるあの子が羨ましい)と思っているかもしれないし、B’zの稲葉さんも(足りない足りない足りない)と発狂しているかもしれないし、捉え方よね。
誰かが決めた価値観に縛られず自由に「今が1番幸せ!」と選択できるのは私だけ。わたしはわたし!
と言いつつ、最後には夫への感謝と愛が溢れてきました。やだもー。
素敵な心の旅をみせてくれた、さえさん、よっぴちゃん、関係者の皆さん、ありがとうございました。
オンラインアンケート、ゆっくり書けていいですね。
ゆっくり書ける分、嫌になるくらい長くなってしまってごめんなさい。お許しを。LOVE!
(感想を書いた人:清水理絵さん)


迫力がありました。「ごめんなさい」とか「あー言っちゃいそうです」とか。
「がんばれ」とか「抱きしめたいな」とか思っちゃいました。
この手の話は演者は精神的に苦しいというか辛いですよね
戦隊ヒーローみたいに架空の人物と演者も観客も分かっているものは、ちょっと演者の弾けてやることができると思いますが、このような本人なのか架空の人物なのか判別しにくいもので、さらに自分の一部分でも共通点があるような(ありそうな)物って気恥ずかしいですよね。
群衆の前で裸になるような恐怖があります。私小説を自分で朗読するような恐怖を私は感じます。
このジャンルの劇をやる演者には頭が下がります。尊敬します。応援します。
(感想を書いた人:やすさん)

リーディング 「Aliens」

作:田村さえ 読んだ人:福田みゆき、有森楓、柳田詩織


聞こうとしなければ聞こえないよな小さな呟きや願いや嘆きをしっかりと聞き取って劇ができていて。その小さな声の中に多くの共感や、多くの「知らなかったなあ」という気づきを与えてくれた作品でした。おそらく劇そのものよりもそれを作る過程がとても劇的だったのではなかったのかなと思います。
劇が持っている魅力の中に「自身を考える」といいうものがあると思います。
役を演じる中で「自分との共通点や異差を考えます」その中で「自分はこんな所があるなあ」とか思ったりします。それは練習から発表(公演)まで何度も試されるというか考えることなるでしょう。それが他者との関わりの中で深まっていくのが劇の持っている魅力なんだと思います。それがあるから太古から人の中に劇があり続けたのだと思います。そんなことを考えた作品でした。

(感想を書いた人:やすさん)

リーディングのために用意されたような、聴くだけで物語にスッと入り込めました。
お二人の声がまた良い。感情の静と動が、繊細さが心に響きました。

(感想を書いた人:匿名希望)

リーディング 「幸福な山羊王子とおひめさまのはなし」

作:田村さえ 読んだ人:福田みゆき、柳田詩織、松尾佳美、桜井玲奈、服部優、柳田光優

複雑な構成というか時間が過去と現代を行き来するので、難しさを感じてしまいました。
この話もなかなか私のようにぼーっと生きている人間にはなかなか耳にすることない、音声としては耳に到達しているが受け止めていない声を届けてもらいました。
私がケイコの父親だとして、最後にどんな態度を取るだろうか?全てを受け入れるのだろうか?もし意思表示ができない状態だとしたらどうするのだろう?いやもっと前に昏睡する前に、意思を確認することが出来たのだろうか?躊躇している間に、迷っている間に時間だけはどんどん過ぎていって、気づいた時には決断を迫られてしまう。こんな事ってどこにでもありそうで、ちょっと考えてしましました。

(感想を書いた人:やすさん)

この作品は観たことがあり、数年ぶりにリーディングで聴くことができて嬉しかったです。
あの時観た演劇と、今もまだ変わらずにおなじ悲しさがあったので、社会の変わらなさを考えてしまいました。声が重なるシーンには(観たはずなのですが)ドキッとしました。

(感想を書いた人:匿名希望)

リーディング「かいじょうゲキジョウ」

作:進藤アヤノ 読んだ人:柳田光優、服部優、藤桃子(お客様に参加いただきました)

面白い性格の登場人物がその個性を爆発させる演者も観客も楽しくなる演劇だと思いました。セリフが絶妙で面白いと思っていましたが、途中からある事が気になって、集中できなくなりました。
ちょっとキレやすい大学3年の女性とちょっとプレーボーイの先輩この関係性が自分にはしっくりきませんでした。事実は小説より奇なりで実際にこんな二人がいましたかも知れませんが、自分の頭の中ではこんな二人が付き合う事ができるのか?もし付き合っているなら別れる事ができるのか?もし別れていて偶然再会したとしてこんな会話をするのか?そんな疑問が巻き起こって、笑う事ができずに終わってしまいました。ちびまる子とパタリロが同時に出てきて、それぞれ個性的で魅力的だけどこの二人が絡むことはないだろうと思うし、話が進むとは思えません。でもそんなことを考えるのは自分だけで、みなさん楽しそうにリーディングを聞いていらっしゃたので、自分の考え方は偏屈なんだなあと思いちょっと落ち込みました。

(感想を書いた人:やすさん)

上演「夏休み夢日記」

作:田村さえ 出演:柳田詩織、花森もも

ハコ町屋の自然の光と、おばあちゃんちのような匂いがベストマッチ。
今回のロッジは「夏休み夢日記」が全て。
なんて美しい空間。世界中の人に味わって欲しいと思った。
ただ、涙は見たくなかった。あそこはこらえてほしかった。

(書いた人:匿名希望)


戦争はどんどん過去の話になっていくのだなあと漠然と感じました。
私は戦後15年に生まれて、私の時代でも戦争を感じることは少なくなっていました。
しかし観光地などに行くと傷痍軍人(格好だけかも知れませんが)が立っていました。板付空港が米軍と共用だったので、米軍機がしょっちゅう飛んで耳が痛かったし、小さな子どもは泣き叫んでいました。実家の近くに米軍の住居があり私たちは「ハウス」と呼んでいました。黒人や白人の背の高い軍人もよく見ましたし、小学校には米兵と日本人の子どもも通ってきていました。まだ戦争の残り香が感じることが出来ました。もう戦争は実感を持って話すことが出来なくなっています。今存命の戦争体験者と言っても多くは80代で終戦当時小学生です。食べ物がなかったとか、天神が真っ赤に燃えて次の日家から海が見えたとか断片的な思い出を持っているくらいです。
これからはもっと聞き取りは難しくなるでしょう。これからは伝聞の伝聞の形になるでしょうね。その中で実感を持つためにはどうしてたらいいのか考えてしまいました。

(感想を書いた人:やすさん)

ご感想をいただいたみなさま、ありがとうございました。
ご感想・コラムのご協力はまだ募集しております。

今回、初めて灯台キャンプ場のメンバーで集まり作品創作を行うことで、個人として集団として、それぞれの関わりを模索する時間になりました。メンバーのお子さんが一緒に稽古に参加していただく時間もあり、集団としてのさまざまなコミュニケーションや協力も起きていたと思います。たのしく考え続けることのできる持続したコミュニティとなるよう、今後も活動を続けて参ります。灯台とスプーン、Lighthouse Camp Circleを応援いただけますと幸いです。