「海をわたる獏」について、田村より
次回公演、海をわたる獏、について書きます。まだ上演されていない演劇について(しかも作演が)いろいろ言ってしまうことはあまりやらないことだと思いますが、今回の作品については、そのまま作品を差し出すよりも、書いておいたほうがいいかなと思ったので、書きます。
チラシの段階では、うまく伝えるすべがなかったというのもあります。興味を持っていただいている方、ぜひお読みください。そして、一人でも多くの方が公演を観に来てくださることを願っています。
(文章の間に、写真を挟んでいます。すべて今年9月に気仙沼、大島で撮影したものです。)
2012年の春、宮城県気仙沼市と、大島に行きました。東日本大震災から1年後、お寿司屋さんを解体するボランティアに参加させてもらった時のこと。たまたま出会った同世代の仏師さんに、震災についてのお話を伺っていると、彼が津波で流された「みちびき地蔵」を作った、と聞き、しかもその、できたばかりのお地蔵さまを見せていただいたのです。
そこで出会った三体のみちびき地蔵の美しさと、そこで生きている彼をはじめ、気仙沼の人たちに逆に勇気をもらってしまったことから、(大変おこがましいと感じながらも、)いつか気仙沼と大島に関する作品をつくれたら、という思いが胸の内にありました。
それから4年後、震災から5年が経った春に、熊本地震がありました。
ちょうど台本を書こうとしていた時で、夜中の大きな揺れを福岡でも感じ、とてもあわあわ、としていました。ここに書いても仕方ないのですが、企画をはじめていたリーディングの公演は流れ、私だけでなく、灯台とスプーンの3人が3人ともあわあわ、していたことを覚えています。
そのあわあわ、は、これから本当に作っていっていいのか、言葉にしすぎると今にも押しつぶされそうになるような気持ち、というのか、こんなに近くにある(いつ起こってもおかしくない)重たいものを、われわれがやるって大丈夫なの、というような気持ちだと思います。
この公演が(いまのところ)ダメにならなかったのは、今回客演さんを含めて役者が8人いるのですが、それぞれが思う「震災」や「東北」への気持ち、いろいろな想像力の共有をする中で、遠く離れた福岡でもそれぞれが意味を見つけていただけたから、だと思っています。(本当に、感謝です…!)
演劇に対して誠実な役者さんを客演さんとしてお迎えしました。初めて共演する人たちばかりですが、一緒に考えられると感じた人たちと、一緒に考えながら作っています。もう少しその時間があることが、とても嬉しいです。
ゆっくりと脚本ができて、そこから長い時間をかけて本読みや、直接的な稽古だけでなく、イメージを共有するための会話や体験を重ねてきました。
(TOMOSHIBIプロジェクトの浅野さん。地元気仙沼から、月命日にキャンドルに火を灯す活動をされています)
10月9日に熊本で上演した「漂流」は、この「海をわたる獏」から新しく作った短編を上演しました。(くわしくは、こちらのレポートごらんください。)早川倉庫での舞台。初めて見られる方が9割以上の中で、きれいだった、とか、静か、繊細、など、「灯台とスプーン的」として初めて見る方によく言われる言葉があるのですが、お客さんの中にはその先の、なんといったらいいんでしょうか、きっと「その人にとっての本質」みたいなものを、作品の中から見つけて、それをつかんで投げ返してくれたひとたちがいました。とても些細ではありますが、この公演(本当はバトル、だったのですが…)に大きな意味を感じて戻ってきました。
投げ返してくれたものをしかと受け取り、伝えるべきものを今度は本公演で伝えたいと思っています。
第三回公演「海をわたる獏」は、東日本大震災からちょうど五年後、気仙沼に生きるノリコという女性が主人公のお話です。